合格体験記

合格体験記

葛西 陽菜 さん

2022年度卒業
東京藝術大学 美術学部先端芸術表現科 合格

潤徳での三年間、本当にやりたいことをやりたいようにやらせてもらっていたなと今振り返って思います。放置、ではなく過干渉しないで見守っていてくれたおかげで成功や失敗から自身の経験として糧にすることができました。大人がやってしまえば早いところをあえて生徒に任せてくれた先生方、一緒に進めてくれた友人には本当に感謝しています。

本気で叱ってくれる先生や、好き勝手やっている私を見守ってくれた先生、私の突拍子もない提案を面白がって一緒にやってくれた同級生、先生も友人も本気で作品を作っている人たちに囲まれた三年間で学んできた美術はすべて、「受験のため」ではなく「自分のため」だったと思います。自分のために続けてきたことが結果的に受験につながっていて、これから先の人生、もっと大きく見たら美術史の中にいる私の核のような部分を見つけることができた高校生活でした。

葛西 陽菜さんの作品


井戸川 円香 さん

2021年度卒業
東京藝術大学 美術学部工芸科 合格

私は潤徳に入学した頃から志望校は東京藝大でした。将来は絶対美術をやっていきたいし、目指すならトップがいいなという軽い気持ちで最初は目指していました。それでも東京藝大は入るのがとても難しいことは知っていたので、高一の夏から予備校に通っていました。高2からは週5で高3からは週6で通っていました。また、潤徳は3年生は特に、美術の授業時間が多く取れることが藝大を目指していた私にとって凄く嬉しかったです。基礎的なデッサンなどを、授業中はもちろん朝や放課後にも自由に取り組み先生方も講評してくれる環境が良かったです。

そして現役生の試験をむかえ、1次試験は通過しましたが、2次試験は上手くいかず最終合格はできませんでした。しかし、正直な所1次試験は自信があったけれど、2次試験はまだまだやり切れない事が多くありました。なので、一浪して沢山学んで誰よりも上手くなる!という気持ちが強く落ち込むことはありませんでした。

初めての浪人生活が始まり、予備校まで往復3時間、家に居る時間の方が少なく想像以上に大変な日々でした。最初は楽しく課題をこなしていたのですが、受かるか分からないのに毎日毎日同じような課題をやり、高校1年生から周りの友達に比べてほぼ遊ばずにずっと受験勉強をしてきた事から、1浪の冬くらいから予備校に行きたくないな、サボりたいな、遊びたいな、と思う事が多くなりました。しかしその時、もう浪人は絶対にしたくない。今予備校に行きたくない気持ちよりも今年も落ちてもう1浪する方が嫌だ。と思いが強く、最後まで頑張ることができました。受験課題は最初は楽しかったけれど、毎日やっていくことで私にとってはつまらないものでした。しかし藝大に入学してからの基礎として大切な事なのだと思っていたので、浪人生1年を通してほぼ休むことなく1つ1つの課題を真剣に取り組んできました。受験で何が1番大切かというと、自分自身の得意な所と苦手な所を分析する事だと思います。帰りの電車の中で毎課題の分析をして、次の日の課題で生かすという毎日を過ごしていました。私は1浪の入試直前に、大好きで1番得意だったデッサンでのスランプがあり、その時が1番辛かったです。でもスランプはある程度上達した人に起こることだし、スランプを乗り越えたらもっと良い作品が作れるようになるのだとポジティブに考えて、逃げずに自分の分析を細かくして、スランプを乗り切ることができました。このスランプを乗り越えられなかったら受かることはできなかったと今でも思います。そして1浪の試験をむかえ、いつも通り取り組めばできるという自信はあったので落ち着いて取り組み、合格することが出来ました。

受験を通して今までの私には計り知れない程の事を学ぶことができました。技術はもちろん、物事の考え方など感性が凄く豊かになりました。そして沢山の方々に支えて頂き合格することが出来ました。この事を忘れずに大学生活で今よりも沢山のことを学び、素敵なアーティストになれるよう頑張りたいと思います。ありがとうございました。

井戸川 円香さんの作品


石坂 莉帆 さん

2020年度卒業
東京藝術大学 デザイン科 合格

一浪の時は毎日予備校で、自分と向き合う時間を大切にしていました。
 1作品の中でいかに成長できるかが重要だと考えていたので、課題への反応力や自分の苦手な所、得意な所を細かく分析していました。持論ですが不安になるのは自分が手に負えてないからだと考えていたので、不安な理由を明確にし改善策を考え粗を徹底的に無くす意識でやっていました。
 入試直前にはデッサンも色彩も立体(紙も粘土も)にも、落ち着いてやれば出来るという自信がありました。
 学科も毎日徹底してやっていました。学力模試も受けて共通テスト直前も模試を受けました。土日には10時間以上やっていました。時間が全てではないと思いますが、学力が高くないのであれば、人より沢山やることも大事だと思います。なのでとりあえず沢山勉強しました。
 量より質などは、ある程度レベルがついてからの問題だと思うので実技に関しては自主練を沢山するというより予備校での1発ずつに本気をだしていました。年間を通して良い評価を取り続けてたと思います。
 学科は質より量でした。本番は7割ぐらいで高得点ではありませんでしたが、足を引っ張るような点ではありませんでした。
 現役の時はメンタルがすごく弱かったのですが予備校の先生にメンタルを1年通して鍛え上げてもらいお世話になったので本当に感謝しています。

石坂 莉帆さんの作品


平沼 百桃 さん

2019年度卒業
金沢美術工芸大学 彫刻科 合格
武蔵野美術大学 彫刻科 合格

 私が美大を目指した理由。それは、私が4歳の頃から通っていた「芸術による 教育の会」という美術教室の先生になりたかったと思ったからです。教室の先生達は私達の作品を一切否定などせずに、受け止め良いとこは褒めてアドバイスをくれるような、美術の自由度や可能性を最大限に発揮し気づかせてくれるような場所でした。私が小学校6年生の時、その教室で有志の参加でタイに行き現地の小学校の子ども達と紙コップでのインスタレーションや絵を描きました。当時小6の私がタイ語はおろか英語もできず会話ができない中、それでも皆がひとつになって同じことで楽しめていることの素晴らしさ、それがアートの力だと子どもながら実感した事を今でも鮮明に覚えています。

 高校を受験する際に母から将来を考えて進学した方がいいと言われ、悩まずとも私にできること、したい事は美術しかない。大好きな美術教室の先生になろう。先生になるには美大を卒業しなければならない。そんな思いから、美術コースがあり、受験対策もある潤徳を中学の先生にすすめられ受験しました。
 高校入学時の私はデッサンを知るところからスタートでした。高校2年生になって予備校の基礎科にも通い始め、夏期講習でそろそろ受験する科を明確にしたいと思い、前期に油画、後期には試しに彫刻を取りました。そして油画の夏期講習で私は初めて受験生と混じって制作し、受験美術の現実にぶつかりました。 あれ程自由で大好きだった美術が、受験では誰かが求めている「ふつう」じゃない自分をつくらなきゃいけないと思ってしまい描くことが億劫になりました。でも、後期の彫刻の授業では、初めて本格的に石膏像を描いて、粘土では造形物を作ることの楽しさを知りました。高3になるまでは、高校で彫刻を佐藤先生に教わり心強かったです。
 受験生になって彫刻を専攻した私は「すいどーばた美術学院」に通い始めました。そこには藝大を目指す人ばかりで浪人生の絵や、1番を目指して頑張る背中に憧れて、学費も安く都内にあってレベルが高い事も含めて藝大を目指しました。現役から、2浪が終わるまで、毎日が学びで何度も苦戦し、頑張っても結果が出なくて、ただ頑張るだけじゃダメなんだ、とたまには休んでの繰り返しでした。向いてないかもと悩んで、それでも3年間の受験生活の中で美術を嫌いになったことはありませんでした。
 美術をやる上で心掛けていることは人それぞれだと思いますが、私がこの浪人生活で心掛けていたことは、美術を楽しむことを忘れないこと。美術の可能性を信じるこ と。でした。嫌いになりそうになったら無理しなくていい。散歩したり、映画見たり、自 分が受験と離れてゆっくりすることも大切。作品は、アトリエにいる時だけが制作時間じゃないこと。自分が作品を創る過程で本当に出来上がるのは、自分自身。作品を創る 過程で出てくる悪い癖や甘さは、実生活にも通ずること。誰かの真似をしてもいい、だけどそれを越えなきゃ意味がない。課題ひとつひとつが落ちるか受かるか考えるよりも、その日の体調やマインド、自分が左右されるものを加味した上で、今日どこまで全力を出せるかが勝負だと。そして、今美術が出来ることは自分だけの力ではないという事です。

 現役では藝大のみ受験、1浪では武蔵美に合格しても諦めきれず親に懇願し、入学せず翌年最後の受験をしました。結果、金沢美術工芸大学に行くことになりましたがこれは妥協ではありません。2浪をしたからこそ気づいた事が沢山あって、自分自身に向き合い、自分の成長を実感し、最後の試験で後悔しないデッサンを置いてきたからこそ、結果を受け入れて今、前に進むことができます。

平沼 百桃さんの作品


青木諒花 さん

2020年度卒業
東京藝術大学 先端芸術表現科 現役合格

受験期間中ハプニングと自分の致命的なミスと沢山遭遇しました、「やっぱり自分には向いていないのか」と思う毎日で隣の芝がとても青く見えて辛かったです…。心折れそうな事があったので学校の卒展の準備や受験勉強を放り投げて11月に3日間の旅に出たりしました。毎日移動時間中は映画を観たり、本を沢山読んだり展示に沢山行ったり自分を色んなところに旅に連れて行ってあげ、旅から得たインスピレーションと自分の経験談を上手く組み合わせて、どんなに些細なものでも頭に思い付いた作品は全て作りました。直前になってやっと自分の世界観を理解する事ができ自分の愛せる作品と出会う事が出来ました。先端の試験は試験前に20ページ程度で作品や自分の考えている事をまとめたポートフォリオを提出するので、その作品達は試験本番でも大いに活躍してくれたと思います。

先端の試験は、様々な技能が求められます。いったい自分はどんな人間でどんな事を考えていてそれをどう表現するかで大きく合否が分かれると思います。なので、自分で考える力がとても必要だと実感しました。何が自分を自分たらしめているのか、自分について考える力がつけば周りの変化にも気付けると私は受験期間中気づきがありました。

自分自身も知らなかった自分と出会う事が先端芸術表現科では出来ました。諦めずに最後まで沢山作品を作った事フットワークを軽くしておいた事が今回私のキーポイントになったと思います。私がこれを読んでくれている先端を受験する人にアドバイス出来る事は、行動に起こす事を恐れずにもっと爆発して欲しいです。あと、争わずに、持ち味を生かす事ですかね…
激動の中での受験は凄く大変な事だらけで、どうしていいか分からなかったし曖昧な気持ちがずっと続いていました。こんなご時世ですがとにかく自分を止める事なくつねにフル回転して活動していた受験期間はすごく楽しかったです。受験期間支えて助けてくれた人達への感謝が止まりません!

青木諒花 さんの作品


稲飯 梢 さん

2019年度卒業

東京藝術大学 工芸科 合格
多摩美術大学 工芸科 合格
武蔵野美術大学 工芸工業デザイン科 合格

私の潤徳入学時の志望校は多摩美術大学のグラフィックデザイン学科でした。ある時先生から稲飯さんなら東京藝大も狙えるんじゃないかと言われ少し考えてみるようになりました。名前は知っていましたが、天才的な才能がないと無理だと思い込んでいたので、自分には到底無理だと最初から諦めていました。しかし自分も狙ってみても良いんだと気づかされ、色々調べ藝大出身の先生方の話を聞いていくうちに藝大に行きたいと思うようになりました。藝大はたくさんの努力を積み重ねて入学するものだということをその時知りました。私も頑張ってみたいと思い東京藝術大学を第1志望にしました。

先生の勧めで美術予備校に高校2年生の頃から通い始め、基礎的なデッサンや実際の試験に近い課題をしていました。高校では人物デッサンや静物着彩、自分が考えた課題など様々な経験をすることができました。色々なことを勉強していくうちにデザインの他に工芸や日本画にも興味を持ち始めました。しかし、就職の事などを考えたらデザイン科が1番現実的だと思いデザイン科を受験しようと思っていました。
ある時ふと先生にデザイン科でいいのか迷っていることを話してみたところ、将来本当に何がしたいかで決めることが一番大切だよと言われ就職や仕事のこと、受験形式のことを抜きに考え、彫金や染織、陶芸が学べる工芸科を目指すことを決めました。実際に藝大受験を乗り越え卒業し作品作りをしている先生方の声はどんな言葉よりも信頼できる言葉だったように思います。

そして受験をむかえ、1次試験は通過したものの2次試験では失敗してしまい、最終合格はできずこんなに呆気なく終わるものなのだとショックだったことを今でも覚えています。そして1浪で藝大に受からなければ他の美術大学に進学することを決めました。浪人生活は1年どれだけ頑張っても受からないかもしれないという不安や焦りが常にあり、やめたくなる時もありました。しかし試験当日は過ごしてきた日々を糧に自分に自信を持てたと思います。美大受験で私は技術を身につけるだけではなく、今後作品を制作していくうえでも大切なことを本当にたくさん学べたと思います。
そして今まで支えてくださった沢山の方々に感謝の気持ちを忘れず、これからの大学生活を充実した物にできるよう努力したいと思います。ありがとうございました。

稲飯 梢 さんの作品